生い茂る森の側で育まれた 文化、芸術、学業の街
私自身、神田を中心に事業を展開し『神田生まれ、神田育ち』を明言していますが、実はこの “上野桜木” という地で生まれ、幼少期を過ごしました。
小学校で街の歴史を遡る授業があったのですが、ここは江戸時代から「寛永寺」の子院のご住職やお寺に携わる職人さんが住んでいた場所で、その名残でいまでも木造の長屋がぽつぽつと残っています。

“上野桜木” 周辺は川端康成などの文豪や正岡子規などの俳人が居を構え、著名な落語家の生家があったり、上野恩賜公園の敷地内に東京芸術大学のキャンパスがあったり、美術館や博物館もありますから、アカデミックな街とも言えます。宗教、アート、音楽などのカルチャー文化が入り混じる、(いい意味で)カオスの中に、ほのぼのとした街並みが佇んでいる……そんなイメージでしょうか。
山手線の内側であり、台東区の中でも地価が高いことから、相続の際に所有している大きな邸宅を売却し、その跡地に小さな戸建てやワンルームマンションが多く建ち並ぶようになってきました。そうした時代の流れには少し寂しさを感じています。
昔ながらと現在を結ぶ この地ならではの「温故知新」
事業主・施主の立場からすると、収益の上げやすい物件を建てることは十分に理解できます。ですが私にとっても生まれ育った大切な場所であるからこそ、街の歴史を反映し、現代なりの解釈を加えた “少し挑戦的な” 住宅をつくりたいと思うようになりました。
ここは昔、上野の森が生い茂っていたエリアで、子どもながらに虫取りや土いじりを楽しんでいた記憶があります。コンクリート打ちっぱなしのようなデザインは格好いいですが、この地にそういったデザインは相応しくない。どうしたものかと考えていた時、幸運なことに建築家・川島範久さんとの出会いがありました。


▲建物ファサード。敷地東側には隣家の空地を拡張するように植栽帯を配置。
彼は古民家や日本の昔の風土を研究されていて、自然との折衝を意識した設計、“環境デザイン” をされています。彼であれば街の背景を読み解きつつ、新しい建物を設計してくれるんじゃないか。そう思い、設計をお願いすることにしたんです。
ようやくプロジェクトが動き出したのは2021年の暮れ頃でした。話を進めるうち、川島さんから「立体長屋」というコンセプトが出てきた時は、とても感動したのを覚えています。
無機物と有機物の融合 自然との折衝を意識した設計
建物の敷地内やテラスには美しい植栽がありますが、川島さんはその土ひとつとっても、これまでの土壌を引き継ぎ、微生物を含む生命が自生できるよう計画されました。


▲左・1階居住空間。木や土壁と鉄骨筋交が入り混じるダイナミックな空間。/右・横長の窓から敷地東側の植栽帯を望む。
建物の構造上必要な防火性、断熱性、省エネ性は人工素材で担保し、それ以外は土や木などの自然素材を存分に使い、人にとって本当の意味で心地よい空間を追求しています。前面道路に面する各住戸への入口兼サンルームには御形(ごぎょう)の簾を掛け、住まう人と街とのやわらかな繋がりを演出しています。


▲左・2階玄関前のホワイエ部分。簾から陽が差し込む。/右・1階居住スペースより前面道路側を望む。簾が目隠しの役割を担う。
また長屋の特長として挙げられる風通しのよさは居住スペースで存分に活かされ、極力空調機などに頼らず快適に過ごせるよう配慮されています。一般的には2LDKや3LDKにしてしまう専有面積ですが、いずれも寝室はひとつ。


▲2階居住スペース。階段の先の廊下を渡って水まわりへとアクセスする。
2戸がL字に立体的に重なり合うような構成で、パブリックとプライベート、開けた場所と閉じた場所など、様々なスケールで空間をダイナミックに体感していただけるようなデザインとなりました。デザイナーの鹿野喜司さんにお願いし、この空間のためにセレクトしたソファやダイニングセットもお付けする予定です。
この街の特性に共感し 文化的な暮らしを望む方に届けたい
入居者に対するイメージですが、異なるふたつの像を描いています。ひとつは、お子さまが独立されて、これからゆっくりとご自身の好きなことへ向き合いたいと考えているご夫婦など。例えば、定期的に芸大で開かれる演奏会や芸術展へ足を運ぶことを楽しみにされるような、文化的な暮らしを望まれる方です。
もうひとつは、毎日忙しくされている共働きのご夫婦など。1階の住戸はアトリエ兼ギャラリー、デザインオフィスなど、SOHOとして使っていただくことも可能です。30-40代の方がこの街とどうコラボレーションするのか、近くで見てみたいなと感じています。